FONTANAFREDDAフォンタナフレッダ

北部のワイナリー
  • 所在地

    ピエモンテ州 クーネオ県 セッラルンガ・ダルバ

  • 創業年

    1878年

19世紀末にイタリアの初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の息子が、その所有地を譲り受け設立したワイナリー、フォンタナフレッダ社。
一世紀以上にわたりバローロを造り続け、その品質の高さでバローロの名声を世界的に高めた名門です。
偉大な醸造家と言われるベッペ・コッラ氏に師事したエノロゴ、ダニーロ・ドロッコ氏が1999年に醸造責任者に就任、フォンタナフレッダ社のワインはイタリア内外で評価を不動のものとしました。2018年4月からは、かつてブルーノ・ジャコーザのコンサルタントも務めたジョルジョ・ラヴァーニャ氏が立場を引き継ぎ、さらなる躍進を目指しています。
また近年は、より環境に配慮したワイン造りを目指す『グリーンルネッサンス』や地元のコミュニティーへの貢献など、サステナビリティを重要視した新しい方針のもとよりよいワインづくりを行っています。

フォンタナフレッダワイナリーイメージ

初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が妻子に贈った土地-フォンタナフレッダ

左:フォンタナフレッダ社創始者エマヌエーレ・アルベルト・ミラフィオーリ伯爵 右:バローロの銘醸地、フォンタナフレッダが一望できる

イタリア初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世とローザ・ヴェルチェッラ―ナ伯爵夫人の間に1851年に生まれた エマヌエーレ・アルベルト・ミラフィオーリ伯爵が、王から受け継いだ“冷たい泉”(イタリア語でフォンタナ・フレッダ)が湧き出る土地、フォンタナフレッダでワイナリーを設立しました。

彼は43年間という短い人生の中で、フォンタナフレッダ社の前身である「カーザ・エマヌエーレ・ディ・ミラフィオーレ」を創業し、ヨーロッパで初めてコンクリート樽を導入するなど新たな技術も取り入れながら、バローロが世界的な赤ワインとして国際的評価を得るために尽力し、バローロは偉大な「王のワイン、ワインの王」としてその名声を得ました。
よいブドウを育て、よいワインを造る事に集中したかった伯爵は小作人からブドウを買いあげる方法を止め、直接畑の運営に携わるべく熟練の労働者を雇って自ら畑を管理させるという当時としては画期的な経営方法をとりました。


当時の記者達は、「セッラルンガにあるミラフィオーリ伯爵が当時所有していた畑は、アルバ周辺地区の中で一番美しい。イタリアには広大なブドウ畑があるが、この畑ほどブドウ栽培者が訪れるにふさわしい畑は存在しない」と記述を残しています。

エマヌエーレの死後は息子ガストーネが後を継ぎ、セバスティアーノ・モッロの指揮のもとワイナリーは最盛期を迎えました。200人の従業員を抱え、40世帯以上が生活した敷地内には教会や学校が併設され、フォンタナフレッダの地でコミュニティーが築かれました。


しかし1928年フィロキセラの被害、1929年アメリカに端を発した世界恐慌などの困難に直面し、ガストーネは1930年ワイナリーを手放す決断をしました。ワイナリー名である「カーザ・エマヌエーレ・ディ・ミラフィオーレ」はピエモンテのガンチャ家へ、ワイン事業・土地の利権は世界最古の銀行モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行へと別々に売却されました。
ブランド名を失ったワイナリーは所在地であるフォンタナフレッダから名前を取り、再出発をきりました。新たなオーナーのもと積極的な設備投資が行われ、近代フォンタナフレッダ社の基盤が作られました。第二次世界大戦中もフォンタナフレッダの村は大きな被害を受けることはなく、続く1950年代はワイナリーにとって大きな飛躍の序章となりました。1959年に現在のアルタ・ランガワインの源流となる”コンテッサ・ローザ”の発売、1964年バローロエリアで最初に認定されたクリュの単一畑ワイン”ラ・ローザ”などフォンタナフレッダ社のフラッグシップとなるワインが次々にリリースされました。


ピエモンテにおけるワイン造りのパイオニア的存在を確立したフォンタナフレッダ社が、2008年イータリーの創業者オスカー・ファリネッティ氏とルカ・バッフィーゴ氏に買収され、ピエモンテの人々のもとへと帰ってきたことは、大変うれしいニュースとして受け止められました。
その後、伝統を守りながら高い品質のワインを造り続けている点、ホスピタリティ面での取り組みが評価されたフォンタナフレッダ社は、2017年にアメリカのワイン・スピリッツ専門誌『ワイン・エンシュージアスト』でヨーロピアン・ワイナリー・オブ・ザ・イヤー*を受賞。
数々の困難を乗り越え、多くの人がつないだフォンタナフレッダ社の新たな歴史は始まったばかりです。
 *ワイン・エンシュージアスト誌がワイン・飲料業界で目覚ましい活躍をした個人、または会社を選ぶワインスター・アワードにて、ヨーロッパの全ワイナリーの中から1社のみが選ばれる賞。

フォンタナフレッダの村の様子 多くの人々が暮らしていたことがうかがえる

イタリア初代国王とローザ夫人の物語から始まった、フォンタナフレッダ社の歴史

伝統薫るピエモンテのスパークリングワイン、アルタ・ランガ

上段:澱とともにゆっくりと熟成するアルタ・ランガ 下段:創業者の母の名前を冠する”コンテッサ・ローザ”

イタリア屈指の高品質ワイン産地ピエモンテで、「アルタ・ランガD.O.C.G.」という瓶内二次発酵のスプマンテが近年注目を集めています。D.O.C.G.に昇格したのは2011年とまだ歴史は浅いものの、イタリア国内の他の瓶内二次発酵スプマンテと比べても厳しい生産規則が定められ、有名バローロの生産者が造る、ピエモンテワインの明確なアイデンティティを兼ね備えたスプマンテとして、その地位を確立し始めています。


さて、フォンタナフレッダ社とアルタ・ランガの歴史は1959年にさかのぼります。同社の最初のメトド・クラッシコ製法で造られたスパークリングワイン”コンテッサ・ローザ”がリリースされた年です。フォンタナフレッダ社は、コントラット社などと並びアルタ・ランガで瓶内二次発酵スパークリングワイン生産をいち早く始めたワイナリーでした。
1990年には、ピエモンテの伝統にふさわしい偉大な瓶内二次発酵スパークリングワインを造ろうという機運の高まりから『ピエモンテにおける瓶内二次発酵スパークリングワイン・プロジェクト』が発足、発起人の7社の一つに名を連ねました。シャルドネとピノ・ネーロ造りに最適な土地を探すことから始まったこのプロジェクトにより、作付面積は飛躍的に増加、D.O.C.や後のD.O.C.G.認定への大きな足掛かりとなりました。現在では40近い生産者が参入し、300ha以上の畑でブドウ造りが行われているアルタ・ランガを60年以上にわたり牽引し続けたフォンタナフレッダ社は確固たる地位を確立しています。
そんな同社を代表するのが、前出の”コンテッサ・ローザ”です。創始者の母の名前を冠するこのワインには、門出のリキュールとしてバローロ1967年が加えられ、アルタ・ランガの特徴であるフレッシュな酸とアロマに古酒由来の複雑さが合わさり、この上ないワインに仕上がります。アルタ・ランガ、そしてフォンタナフレッダ社のスピリッツが現れた一本です。

訪れる人を魅了する美しいワイナリー

広大なフォンタナフレッダ社の敷地内には、ブドウ畑や醸造所以外にも豊かな自然を体感できる広大な森や、その他様々な施設が併設されています。
ワイナリーの創始に深くかかわったイタリア初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世やその妻ローザをしのぶ建物も多く残され、現在ではワイナリーを訪れるゲストのためのレストランやホテルとして、また会議場やアート展示場として使われるなど地域への貢献にも役立っています。また湖の周りでは結婚式が行われるなど、様々な側面を持つワイナリーです。


これらフォンタナフレッダ社の施設の中でも特筆すべきは、リストランテグイドです。
1960年にオープンしたこのリストランテは、1973年に初めてミシュランで星を獲得するなど、クオリティーの高いピエモンテの郷土料理に定評があります。2013年からは国王夫妻が暮らしたヴィッラ・レアーレ(ローザの館)内に店を構え、まさしく『王の食事』に舌鼓を打つことができます。

左上段:リストランテグイドの様子。    写真右中央には、王の愛したローザの写真が飾られている 左下段:ワイナリー内併設のホテル、レ・カーゼ・デイ・コンティ・ミラフィオーレ    ラ・ローザの畑を一望する、素晴らしい景色を楽しむことができる。 右:イタリアのワイン事業におけるサステナブル認証(Equalitas)取得
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