今回のTantiliaは、ワインの王様、バローロで有名なピエモンテ州において、バローロ造りのリーダー的な存在であるフォンタナフレッダ社の若きエノロゴ、ダニーロ・ドロッコ氏の素顔に迫ります。
フォンタナフレッダ社(以下FF社)は、イタリア統一後の初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の子息が、国王の領地を切り開いて興したピエモンテ州の老舗ワイナリーである。
100年以上の歴史を持ち、一等地に自社畑を持つ同社は、名実ともに、イタリアを代表するワイナリーとして成長していった。
そして時代とともに、醸造技術の向上、カリフォルニアやオーストラリアなどの第三国のワインの進化や消費者の嗜好の変化などFF社を取り巻く環境が変化する中、1998年の夏、ワイン造りの責任者に就任したのが、当時38歳という若さのダニーロ・ドロッコ氏であった。
イタリア国内の業界誌で既に注目されていた、2000年3月頃、私は初めて彼に会った
挨拶を終えると早速、彼の案内でワイナリーを見学させてもらった。「FF社の畑は、車に例えればフェラーリのようのものだ。整備の行き届いた美しい車体、超一流のエンジン。その畑から収穫されたブドウでワインを造る事の出来る嬉しさを感じている。また、今ではあまり作られていない大樽から現在主流の小樽まで様々な大きさの木樽が揃っている数少ないワイナリーでもある。条件は揃いすぎているぐらいだ。」と、満足そうだった。
しかし、実際はそれらの好条件を活かすにも、苦労はあるようだ。一番の苦労はと聞くと、「それは収穫のタイミングを見極めること。広大な自社畑があり、標高の違いや品種によっても収穫時期が異なってくる。 このタイミングで1年間の結果が決まるほど重要であるが、これは造り手として当たり前の話。FF社は、その名前があまりにも有名で、そして誰もがここの畑の素晴らしさを知っている。その中でワインを造るのは、時々荷が重いと感じるときがある。もしかしたら、それが一番の苦労事かもしれない。」と苦笑いしたのを今でも覚えている。
ワインのテイスティングになると、彼の説明は、ブドウの個性、その個性を踏まえて自身が造りたいワインのイメージ、そのための畑、醸造における工夫、という流れで説明してくれる。非常にわかりやすく、またその説明とワインの味わいが一致しているので彼の話はさらに面白さが増す。重圧を跳ね返すような自信と確信を私は印象強く残っている。
あれから7年が経つ。この間、彼は様々な変革に取り組み確実な成果を挙げてきた。
そして、今年2007年12月、彼の最高傑作となり得るFF社のトップワイン「バローロ・リゼルヴァ2000」が日本に到着する。
初めて会った年、そして彼の手ほどきを受けながら私も収穫を手伝ったあの2000年のヴィンテージである。ようやくコルクを抜く時が来ると思うと感慨深いものがある。